ルッキズムの弊害
ルッキズムの弊害は多くあるがいくつかあげようと思う。
見た目重視で内容に欠けてしまうという点。つまり、見た目がいい人がいったことは内容が見過ごされる、誤魔化しが効きやすいということだ。これは人間の錯覚作用によるもので、容姿端麗さが人を騙すのに役立ってしまうといったようなものだ。
見た目偏重の世の中になると、それ以外の要素を無視・軽視することになり、それら要素を持った人々を軽んじるようになり、愚論がまかり通るということが起こり得る。例えば、可愛い人、かっこいい人の発言はなんでも正しいといった間違いにつながる。情報発信の点からも、本来重要でない発言、情報が拡散されやすいという害もある。(逆ルッキズムも同様に間違いである、つまり醜い人の意見はなんでも正しいと思うことはおかしい)
また、ルッキズムは人々の精神を病ませるということだ。SNSなどで加工された顔を比較し合うという文化によって、コンプレックスを肥大化させ、精神を病む人が増えている。SNSだけでなくテレビや市中の広告もそういったもので溢れている。これは容姿端麗さが広告としてより機能するという原理によるもので、それが人々の心を刺激し、憧れ、購買意欲などを上げる。
こう考えてみると、ルッキズムと呼ばれるものは、ビジネスや人の心理作用・習性と結びついたものであり、ルッキズムが良い悪いといった単純なことでもなく、それぞれの人間が、それらの情報社会・ビジネスから身を守るという姿勢が必要であるという結論になる。
また、lookismなどという外来概念によって日本人の思想が乱れがちなのも事実である。
外国の倫理観を、外国に遅れ、二番煎じ気味に独自解釈するということが、逐一行われており、この外来概念輸入が外国という文脈から外れた日本でそれほどの価値があるのかも不明である。正しい文脈と問題提起を理解していれば有用だろうが、ほとんどの人にとってそういうことはなくただの混乱に過ぎないかもしれない。
こういった外来の倫理観が人々の精神を狭苦しくしているのも事実としてある。
過度なglobalizationから自分の身を守る、影響受け過ぎずにすると言うことも大事だ。