仮定と現実
学校では、現実の反対が理想と教わるかもしれない。これは、現実が理想とは違いマイナスな、欠けたものだと思わせてしまう。
理想という言葉には、その中にプラスのニュアンスがある。だから、それの逆は当然、マイナスになる。では現実は常に理想的でないのか、マイナス的なのかというとそうでもない。だから、現実の逆は、脳内世界、仮定の世界、Ifの世界、というのがいい。(現実の反対語は、理想、夢、虚構とも書かれているものもある。)
人間が生きている上で、もしの世界は付きまとう、もしこうならこういう利益、快楽があるなど。それを目標に頑張る人もいるだろう。
*現実と仮定の数式
物事が思い通りにならない時を考える。
思考がどう、苦しみを作るか。
理想・得られる快楽・ 仮定*得られなかった現実=結果(苦悩)
I*R=result, feeling
(*はこの二つの変数によって構成されることを表現、ー、+、×の何か)
(苦悩を単位とすれば、1/I ×R=苦悩 となるだろう)
(I,R>0、しかしここでは数学的厳密性は気にする必要はない、そもそもが曖昧なものを扱っている、また仮定・現実は簡単に分離できない)
仮定の快楽が大きいほど
現実の損害が大きいほど
苦悩は大きくなる。
快楽の想像、妄想が苦しみになる、しかしそれは自分が勝手に編み出した幻想、イマジナリーな苦痛でもある
だから数式を変換する
現実 =OK、GOOD、よかったなど
仮定の場合=よくないはずだ、(そうならずによかった)
(仮定の本質として、自己規定性がある、だからなんとでも規定できる)
この時、現実と仮定に苦しめられることはない。
仮定への評価、現実への評価を変えるということだ。
数式にのI、Rを規定していたのは、自分の評価であるので、苦悩数値が高い場合に自分でI,Rの数値を変換すれば、苦悩数値が変化する。
大事なのは、
自分の現実を肯定する、数式を作る、ということ。
しかし、その数式を他者に、脅かされてはいけない
つまり共有すべきでもないし、秘密にすべきだ
なぜなら、他者は自分の数式(人生)の正当性を保つために、別の他者を否定しようとする性質があるからだ。
最後に
仮定と現実の世界のギャップへの認識が人間に苦悩をもたらす、だからそれぞれへの認識を変えることが重要だということが言いたい。