時代と日本人の精神
昨今、今はこういう時代だからという枕詞が流行っている。良い時代にしたいというポジティブな感じよりも、時代という見えない大きな概念によって縛られ、圧力をかけられ出ている言葉のような感じがよりする。
日本の時代は、天皇が変わると、元号が変わる。これによって、時代がコロコロと変わるような錯覚を受けてしまう。そして人々は、時代を変えたい、もしくは時代に適応しなければいけない、という焦りに駆られているようでもある。
しかし、本質的な時代の実態は何もない。つまり、時代というものは本来存在せず、時の流れを人々が適当に区切って目安・目印をつけているだけだ。その単なる目印に縛られ、改善の焦りに駆られていると、それまでの文化・時代を否定することが正しいと思ってしまい、何が正しいのかわからなくなってしまっているようだ。その時代の要求の性急さに疲れ、困惑しているのが現代日本人の特徴なのではないか。
全ての時代は、当然一連の流れであり、分断して考えるのは本来おかしい。時代ごとに特性を持たしたいと思って、誰かが恣意的な操作をしているかは不明だが、そういうものも新商品のような、ビジネスの一部であり、人間の精神にとって良いことは基本的には変わらないし、そういった新しさ・ビジネスによって人々の精神は疲弊、撹乱されているのではないか。
もちろん元号は日本の根本的な伝統であるので尊重すべきだ。
日本人の精神が時代という幻想に惑わされすぎなければより良いのだろう。